始まり
著者:高良あくあ


「ふふっ……」


 とある雨の日。彩桜学園のとある部屋に、怪しげな笑い声が響いた。その部屋には声の主である少女しかいない。


「ああ、うちの部も有名になってきてくれたわ……私の活躍の賜物ね……」


 少女は細い瓶――世間一般では『試験管』と呼ばれるそれを片手に、白衣を翻し、部屋の中でくるくると回る。


 そして、不意に少女は回るのを止め、呟いた。


「そろそろ悠真が来るわね……あの子、この頃実験台になってくれなくてつまらないわっ。まぁ、新しい実験台を探すのくらいは手伝ってもらうかっ☆」




 その声は、誰にも届かない、誰も知らない企み。


 ***


「やばい、遅れるっ」

 窓の外では、止む気配の無い雨が降り続ける放課後。
 俺――彩桜学園高等部一年、泉悠真(いずみ ゆうま)は廊下を走っていた。

「ああ、やばいって。遅れたら実験台にされそう……」

 あまりの非常事態に独り言すら呟きつつ、俺は無駄に広い彩桜学園の廊下を走り、やがて、『科学研究部』――そう書かれたプレートが下がった部屋につく。

「はぁ、はぁ……お、遅れました……」

 俺が部屋に入ると、中にはセーラー服の上に白衣を羽織り、試験管を手にした少女がいる。

「遅いわよー、悠真。罰として実験台。さあ、大人しくこの薬を……」

「飲みませんよっ」

 思わず後ずさる。

 俺の前で試験管を片手に怪しく微笑んでいるこの少女こそ、彩桜学園『科学研究部』部長。この学園の高等部二年生にして、躑躅森夏音(つつじもりかのん)と言う、やけに画数の多い名前を持つ人間だ。

「ん? 何よ、悠真?」

「いえ、何でも」

「……まぁ、良いわ。それより悠真、これを飲む気が無いのならさっさと代わりの人間を探してきなさいよ」

 いきなり命令だよ。横暴って言うのはこの人のことを言うんじゃないだろうか。

「何? やっぱり悠真が実験台になる?」

「いえ。……行って来ます」

「あ、私も行くわ。部員を増やせるかもしれないし」

 正直、この部に入ろうと言う人間がいたら良い精神科をお勧めしよう。

「ほら、早くしなさいよ」

「あ、はい」

 部長が白衣を脱ぎ捨てて部室を出てしまったので、俺は慌てて後を追った。


 ***


「部長、戻りません?」

「戻りませんっ」

 その答えを聞いて、俺は嘆息した。大体、放課後のこの時間に校舎内をうろうろしている生徒など、あまりいないだろう。部活組は活動をしているだろうし、帰宅組はとっくに帰ったはず――

「あ、あの。もしかして、『科学研究部』のお二人では?」

 いたよ。
 部長が笑顔で答える。

「ええ、私は科学研究部部長、三年の躑躅森夏音。こっちは私の子分……じゃなかった、うちの部員の泉悠真よ。で、私達に声をかけてきたってことは、うちの部に何か用かしら?」

 一部恐ろしい言葉を部長が言いかけたような気がするが、それについては無視しておこう。

 声をかけてきた生徒を見る。声からして女子だろうとは思っていたが、驚いたことにかなりの美少女だった。よく言えば大人しそう、悪く言えば気が弱そうな整った顔。黒い髪がロングで、左右共に肩にかかっている部分だけを三つ編みにしている。制服はセーラー。

 その女生徒が頷く。

「はい。お願いがあるんです」

「お願い?」

 部長が聞き返す。女生徒が再び首肯する。俺は横から口を挟んだ。

「部長、場所を移しません? とりあえず、部室の方にでも」

「ああ、そうね。そう言えば貴女、名前は?」

「あっ、すみません。私は、一年の森岡紗綾(もりおか さあや)と言います」

「そう。よろしくね。さて、部室に到着〜っと」

 部長が部室の中に、くるくると回りながら入る。この人、本当に俺より年上なんだよな?

 俺は部長を無視して、後ろからついてくる美少女に声をかける。

「えっと……森岡さん。そこ、座って良いよ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 森岡さんが素直に着席する。

 ちなみにこの部屋は少し――いや、かなり特殊で、前半分が大きな机と椅子、それに棚などで埋まっている、普通の部室にしか見えないスペース。後ろ半分が理科室のような、黒い机と水道、実験器具の置かれた棚で埋まっている、実験の時だけ使われるスペースになっている。

 こんな部屋をつくるくらいなら普通に理科室で活動するべきだと思うのは俺だけだろうかと考えつつ、とりあえず森岡さんの向かいの席に座る。

 部長が白衣を羽織り、茶色がかった長い髪の毛をポニーテールにして、空いている席に座る。

「で、森岡紗綾さん、だったかしら。改めて聞くわね。私達『科学研究部』に何の用?」

「あ……あの……」

 森岡さんは心を落ち着かせるかのように目をぎゅっと瞑り――開いて、叫ぶように言った。

「あ、秋波ちゃんの恋を叶えてあげて欲しいんです!」

『秋波ちゃん?』

 俺と部長の声が重なる。

「あ、すみません……秋波ちゃんと言うのは、私の友達の瀬野秋波(せの あきは)ちゃんのことです。この間、好きな人に告白したいのに、断られないかと思うと不安でなかなか出来ないと相談されたのですが……」

「ああ、それでうちの部に来たのか」

 思わず声を上げる。部長を見ると、案の定ニヤリと笑って、

「うちの部も有名になったものねー、悠真」

「そりゃ、部長があれだけ騒ぎましたからね。有名にもなりますよ」

 嘆息する。

 森岡さんが、祈るような視線で俺達を見て、告げてきた。

「……『願いを叶えてくれる』と噂の『科学研究部さん』。協力、してくれませんか?」



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